• ホーム
  • お知らせ
  • 【年頭所感】格付会社のあり方 日本格付研究所代表取締役社長 内海 孚

お知らせ

【年頭所感】格付会社のあり方 日本格付研究所代表取締役社長 内海 孚
2012.01.04
2011年ほど、格付が市場とメディアを賑わせた年はなかったろう。それによって、格付について、その根元から考えさせられることになった。
その先頭に立つのが、1格付会社による米国国債の格下げであった。米国の行政府及び議会の財政赤字削減についての交渉の難航が、この国の政策立案の機能不全という認識を生み、それが格下げにつながったということであろう。しかしながら、米国経済が破綻したら、この世界で破綻を免れる国も、多国籍企業も存在しないという事態になるだろう。その意味で、米国債の格付は、少なくとも現段階ではこの世界における格付の基軸となるべきものである。従って、その格下げには、慎重な上に慎重であることを要すると思う。
次に、ユーロ圏諸国を襲った格下げの嵐である。ギリシャに始まって、スペイン、ポルトガル、アイルランド、イタリアなどに次々と波及し、遂には、独、仏まで含んで一括的な格下げを行おうとする格付会社まで現出した。ユーロ圏諸国が、欧州中央銀行、IMFなどとともに、市場の急激な動きに催促されながらではあるものの、欧州金融安定化基金の創設、或は、去る12月9日のEU首脳会議における財政協定の策定合意など、何とか危機を克服しようという政策努力に対して、微塵も考慮することなく格下げ競争を行ってゆくアングロ・サクソンの格付会社に対する批判と不信感が、欧州諸国に拡がっている。
このような中で、格付会社としてのあり方をその根底から見つめ直す必要があると痛感していたとき、米国のMITグスターヴォ・マンソー教授の論文を読む機会があった。
その論点は、「格付会社は格付対象となる国や企業の信用力を的確に評価しなければならない(これは当り前のこと)。しかし、同時に、その国や企業が生き続けることに考慮を払わなければならない。」もし、格付会社が、その格付先の存続(Survival)におかまいなしという風土が拡がった場合は、危険な格下げ競争を招き、国や企業の破綻で死屍累々という状況を現出する恐れがあると指摘しているのである。現在のユーロ圏諸国について起きていることは、まさに、その指摘の通りの状況であり、我々は改めて襟を正さなければならない。
格付会社は、格下げによって国や企業の資金調達を困難にし、その命運を絶つことができるという意味で、慎重な上にも慎重な配慮が必要である。少なくとも、市場の動きに便乗したり、これを徒に加速したりすることは厳につつしまなければならない。
その意味で、格付会社は私企業であるが、公共財としての側面を併せ持つという認識に立って行動することが求められる。
JCRの行動基準を振り返るとき、我々と他社との基本的姿勢の違いは、上記マンソー教授の云う「格付先のSurvival」について可能な限り配慮するかどうかというところにあったのではないか。その意味で、この論文によって力づけられるところは大きい。今後も、混乱が続くであろう市場の中で、今や、米国の証券取引委員会(SEC)及びEUの格付規制当局のいずれにも登録を認められ、欧州主要国によって適格格付機関として認定されているわが国唯一の格付会社として、我々はその基本的姿勢を、確固として守って行くことが重要であると痛感される。